一歩踏み出すと、世界が広がる
統合失調症を抱える母と暮らしてきた樅山枝里さんは、大学3年生のとき、自身と同じように病気の親と向き合う子どもたちのためのコミュニティを立ち上げ、現在にいたるまで家族会を開いています。当たり前のように家事をこなした幼少期のことや、自分なりの工夫をして過ごした学生時代を振り返り、大人になった今思うことを語っていただきました。
生まれながらのヤングケアラー
樅山さんの母親は、若い頃から統合失調症という病気を抱えていました。そのため樅山さんは、幼いときから家のことを担うようになります。
――ケアの始まりは、何歳くらいのときからですか。
「私の場合は、すでに統合失調症と診断された母から生まれました。なかには途中からお父さんやお母さんがご病気になられて…という方もいらっしゃいますけど、自分はもとからそういう環境だったので、気がついたら家事をしていましたし、そのことにそれほど違和感もありませんでした。私が笑顔でお皿洗いをしている昔の写真が残っているので、3歳くらいにはもうお手伝いと呼べることはしていたのかもしれません」
――本格的にお家のことを担い始めたのはいつごろでしたか?
「皿洗い、洗濯、掃除は4~5歳でやっていたと思います。祖母がサポートに来てくれる期間もありましたが、帰ってしまうと、父も仕事に行かなければならないし、一人っ子なので私ががんばらなきゃいけなくて。当時は当たり前の役割としてやっていましたが、そのころから“私、いつもお手伝いしてるな”と思い始めて、ほかの家庭へのうらやましさみたいなものも感じていました」
――同世代のお友だちは、ご自身と同じようなことをしていないと気づいたんですね。
「友だちのお家に遊びに行くと、だんだんと自分の家とはちがう“お母さん”がいるなって。『クッキー作ったわよ』って持ってきてくれたり、窓拭き掃除をしていたり。“うちの窓は汚れてばっかりだな…”と思いながら、よその家のお母さんはこういうことをするんだって、自然と学んでいきました。いろんな家庭があると理解しようとした一方で、母親らしさを求める子ども心もあったので、母に強く当たってしまったこともありました」
家のことをしながら、遊びも諦めなかった
子どもながらに母の病気や自身の状況を受け入れ、樅山さんは親のケアと子どもらしくいられる時間の両立を、自然と工夫していたと振り返りました。
――お母さまを支えながらの生活には、どんな苦労がありましたか?
「母の症状は、夜中に強く出ることが多かったんです。寝る前のお薬を飲まずに大きな音を立てて過ごしたり、『しんどい』と言い出したり、悪い幻聴が聞こえてきたり。深夜に友人宅に電話をかけようとした母を止めるため、電話線を抜いて電話機をガムテープで巻いたこともありました。今思うと母も苦しかったのに強引なことをしたなと思うんですが、当時は周りに迷惑をかけちゃいけないっていう気持ちが大きかったです」
――小学校生活は、どんなふうに過ごしましたか?
「友だちには、『お母さんが病気なんだ~』というところまではオープンに伝えていました。私も我慢ばっかりはしていられないので、家事も遊びも、両方手に入れたいと思っていました。学校が終わったら友だちを家に呼んで、当時人気だったゲーム機で遊んでもらっている横で私は家事をして、終わったら合流したり。ときにウソを言って遊びの誘いを断ったこともありました。『今日はおばあちゃんちに行くんだ』と言いながら、実は母の面倒を見ていたりしましたね」
外の世界との関わりが、自分を支えてくれた
長いケア生活を送っていた樅山さん。中学3年生のときに転機が訪れます。
――当時、息抜きができる方法はありましたか?
「中学生になったころ好きになったダンスグループの影響でダンスを始めたり、そのアイドルのライブに行き始めたりしました。自分の生活圏の外に飛び出て、病気の母や家庭事情をまったく知らない人と関わることは、私にとってはすごく大きかったです」
――樅山さんの境遇を知らない人とのコミュニケーションに支えられたんですね。
「はい。そういう機会を持つことは、みなさんにもおすすめしたいです。もちろん最初は勇気がいりますが、一歩踏み出してみると世界が広がるとともに、本当の意味で、病気の親を気にせず“子どもらしい時間”を過ごせるかと思います。ずっと同じところにいると考えや物事の捉え方も凝り固まってしまうので、いろんな価値観や考え方を吸収することで、自分の親の見え方が変わることもあると思います。子どもたちには自分自身のタイミングで可能性を広げてほしいし、そういう機会を大人や社会が作ることも大事だと思っています」
悩みを分かち合える場を作った大学生時代
高校受験を控えた中学3年生のときから母の入院生活が始まりましたが、高校生のころはなかなか面会に足が向かなかったという樅山さんは、大学時代にようやく向き合う時間ができたといいます。そして、自分と同じように統合失調症の親を持つ子どもたちのためのコミュニティ「ひとりやないで!」を立ち上げました。
――「ひとりやないで!」を始めた経緯を教えてください。
「大学3年生のときの就職活動中、面接で『お母さんの病気は、あなたに遺伝してないの?』って聞かれたんです。自分がひとりの人間として見られていない悲しさと、ショックと、何より怒りがいちばん大きくて。今後も精神の病気を患う方は増えていくといわれていますし、そういう親元に生まれる子どももたくさんいるはずです。これからを担う子どもたちが私と同じような思いをするかもしれないと想像したら、ひとりじゃ気持ちを抱え切れないだろうと思ったんですよね」
――それから10年以上やってきて、いかがですか?
「同じ立場の人が集まって状況などをわかってもらえるのは、自分のやってきたことがやっと認められたようで、自分自身の居場所になりました。また、来てくださる方から『前向きに自分の生活を取り戻せました』という報告を聞けるのがうれしいです」
ときには人の手を借りて甘えることも大切
人材紹介会社や福祉の現場をへて、精神保健福祉士の資格も取得した樅山さん。現在は従業員のメンタルヘルスや障害者雇用に関するアドバイスを行うコンサルティング会社に勤務中です。幼少期には家族を支える立場として、そして今は社会の中で“人を支援する”仕事に携わっています。社会人生活を送る中で、樅山さんはある気づきを得たと言います。
――今、樅山さんと同じような環境で悩んでいる中高生に伝えたいことはありますか?
「甘えたいけど、甘えられない時期を過ごしている方もいるかもしれません。私は、甘えたいときはわりとそのまま素直に伝えていましたが、母親がケアを要する状況だと、両親ともに、私の声に応えることが難しい状況のときも多く、いつのまにか人を頼ることがすごく苦手になっていました。“人を頼る=怠けてる、ダメなこと”という思い込みにつながったんですね。その思い込みで困ったのが、大人になって、社会に出てからでした。なにか壁にぶつかったとき、一人では解決できないことがある。今まで関わっていただいたたくさんの上司や同僚などのおかげで、苦手なところはちゃんと頼って、チームで問題解決を図っていけばいいんだと思えるようになりました。しかし、まだ根には苦手意識があって、行動に移すのはなかなか難しいなと感じます…。人の手を借りることは、弱さでも迷惑なことでもありません。自分を大切にするためにも、少しずつ負担という荷物を分散できたら、またちがう景色が待っているかもしれません。あなたは“ひとりじゃない”よ」