母が難病になって日常が変わった
わたしが9才の時に、母は難病になりました。母が亡くなるまで約24年の間、家事や母のサポートをしてきました。
当時、両親と兄と4人で暮らしていて、わたしは母が病気になる前からよく家のお手伝いをしていました。母が入退院をくり返すようになると、食事のしたくや買い物、そうじ、洗たくなどを自然とわたしを中心に行うようになりました。そして、通院のつきそいや入退院の用意の手伝い、入院している時は、お見舞いにも行きます。中学受験のための勉強もしていたので、かなりのハードなスケジュールをこなしていました。そんなわたしを見て、母もつらかったと思います。
小学生のころは目の前のことを
必死でこなしていた
大事な母親が難病になり、治療法も見つからないし、どう悪化していくかもわかりません。小学生のころは、ただただ心配で不安で、その気持ちを言葉で表すことができず、すごくモヤモヤしていました。
そして、食事のしたくや洗たくなど、目の前のやらなくてはならないことを必死でこなしていたので、自分が責任のあることをしているとは、思っていませんでした。わたしがそばにいることで母に喜んでほしい、役に立ちたいという気持ちでいっぱいでした。
中学生になって
周りと自分のちがいに気づく
中学生になると、だんだんと周りの友だちと自分を比べるようになり、孤独感が増していきました。
友だちは昼食に手作りのお弁当を持ってきていましたが、わたしはいつも買ったものを食べていました。入学式、卒業式、授業参観なども母にはあまり来てもらえません。ほかの人が当たり前にしていることが、母にもわたしにもまぶしく思えました。
学校の行事で友だちの母親を見ると、さみしいだけでなく、「なんでわたしのお母さんだけ、つらい思いをしなくてはならないんだろう」と思わずにはいられませんでした。活発で好奇心があり、なんでも自分でできる人だったので、難病になってしまった母がかわいそうになりました。
母親が気がかりで
自分を中心に行動できない
大学に入ると、周りの友だちは授業のない時にアルバイトをしたり、友だちと遊んだり、自分で予定を決めて自由に生活し始めます。でも、わたしの生活の中心には、家のことがあります。自分を中心に考えて予定を組んで行動できなかったので、きゅうくつに思っていました。
また、わたしが出かけようとすると、母がわたしを引き止めることが増えてきました。肺炎で酸素吸入をしていたので、不安だっただろうし、体もつらかったと思います。わたしは母が気がかりで、友だちとの約束におくれることも多くなりました。
母の病気のこと
話をしてはきずついて…
約束におくれてしまった時などに、友だちに母の病気のことを話したことはあるのですが、あまり理解してもらえませんでした。
その場の空気がしらけてしまったり、「へー大変だね」で終わってしまったりしたこともあります。そんな時は、話をするのはつらいし、勇気もいるのに、軽く流されてしまうなら、話さなければよかったと思いました。結局、話をしてはきずついてのくり返しでした。
支援のプロの手を借りること
大人になってから、母のことをなんでも相談できる人に出会うことができました。
訪問看護で週に3日、家に来てくれた看護師さんです。母の病状についてやり取りする中で、わたしのことも気にかけてくれて、いろいろ相談にのってくれました。
家族のお世話は、体力的にも精神的にもつらいことがあります。借りられる手は、借りたほうがいいです。特に気がねなくたのめる公的な支援、プロの手はできるだけ借りてほしいと思います。
母にもらった宝物
母は、家族といっしょにいたいから、一生懸命生きるといって、病気とたたかいました。そばで見ていて、本当にすごく強い人だったなと思っています。
いつも愛情や感謝を忘れない人で、最後に声が出なくなって水が飲めなくなっても、看護師さんに「ありがとうね」と伝えていました。こんなすごい人がわたしの母親でほこらしい気持ちでした。
わたしには、何もないと思っていたけれど、母に生きぬく強さや、どんな時にも愛情と感謝を忘れないことなど、かけがえのないものを教えてもらいました。
自分の経験を役立てたい
母が亡くなってからは、本当にさみしくて悲しくてしかたありませんでしたが、1年くらいして少しずつ仕事ができるようになりました。
また、元ヤングケアラーとして、自分の経験を話したり、本に書いたりするようになりました。幼いころから、人の気持ちに敏感で、気をつかったり、落ちこんだりすることが多く、そんな自分が好きではありませんでした。
でも、今お世話をしていた時に感じたことを経験として話すと、共感してくれる人にたくさん出会えました。また、ヤングケアラーとしての経験があるからこそ、人の気持ちに寄りそって接することができるのだと思います。
ヤングケアラーの子どもたちに
ヤングケアラーの子どもたちの話を聞いていると、自分を責めている子が多いと感じます。わたしも、母が病気で大変な状況なのに、友だちと遊びたいと思ってしまったり、母の思うようにしてあげられない自分は悪い子だと思ったりしていました。
でも、そういういろいろな気持ちをふくめて、がんばっている自分を認めてあげてほしいです。もちろん家族も大切ですが、かけがえのない自分も大事にしてほしいです。
みんなには、自分の時間を自分のためにつかったり、安心して毎日を過ごす権利があります。だからそれが難しいときは、周りの人を頼ってもいいんだってことは覚えておいてもらえるとうれしいです。