ははごした大切たいせつ時間じかん

高岡里衣さんアイキャッチ画像

高岡たかおか里衣りえさん

難病なんびょう母親ははおや高岡たかおか里衣りえさんは、やく24ねんかん家事かじ母親ははおや世話せわをしていました。当時とうじどんなことをかんじていたかなど、おはなしをうかがいました。

はは難病なんびょうになって日常にちじょうわった

 わたしが9さいときに、はは難病なんびょうになりました。ははくなるまでやく24ねんあいだ家事かじははのサポートをしてきました。

 当時とうじ両親りょうしんあにと4にんらしていて、わたしははは病気びょうきになるまえからよくいえのお手伝てつだいをしていました。はは入退院にゅうたいいんをくりかえすようになると、食事しょくじのしたくやもの、そうじ、せんたくなどを自然しぜんとわたしを中心ちゅうしんおこなうようになりました。そして、通院つういんのつきそいや入退院にゅうたいいん用意ようい手伝てつだい、入院にゅういんしているときは、お見舞みまいにもきます。中学ちゅうがく受験じゅけんのための勉強べんきょうもしていたので、かなりのハードなスケジュールをこなしていました。そんなわたしをて、ははもつらかったとおもいます。

小学生しょうがくせいのころはまえのことを
必死ひっしでこなしていた

挿絵1

 大事だいじ母親ははおや難病なんびょうになり、治療法ちりょうほうつからないし、どう悪化あっかしていくかもわかりません。小学生しょうがくせいのころは、ただただ心配しんぱい不安ふあんで、その気持きもちを言葉ことばあらわすことができず、すごくモヤモヤしていました。

 そして、食事しょくじのしたくやせんたくなど、まえのやらなくてはならないことを必死ひっしでこなしていたので、自分じぶん責任せきにんのあることをしているとは、おもっていませんでした。わたしがそばにいることでははよろこんでほしい、やくちたいという気持きもちでいっぱいでした。

中学生ちゅうがくせいになって
まわりと自分じぶんのちがいにづく

 中学生ちゅうがくせいになると、だんだんとまわりのともだちと自分じぶんくらべるようになり、孤独感こどくかんしていきました。

 ともだちは昼食ちゅうしょく手作てづくりのお弁当べんとうってきていましたが、わたしはいつもったものをべていました。入学にゅうがくしき卒業式そつぎょうしき授業じゅぎょう参観さんかんなどもははにはあまりてもらえません。ほかのひとたりまえにしていることが、ははにもわたしにもまぶしくおもえました。

 学校がっこう行事ぎょうじともだちの母親ははおやると、さみしいだけでなく、「なんでわたしのおかあさんだけ、つらいおもいをしなくてはならないんだろう」とおもわずにはいられませんでした。活発かっぱつ好奇心こうきしんがあり、なんでも自分じぶんでできるひとだったので、難病なんびょうになってしまったははがかわいそうになりました。

母親ははおやがかりで
自分じぶん中心ちゅうしん行動こうどうできない

挿絵2

 大学だいがくはいると、まわりのともだちは授業じゅぎょうのないときにアルバイトをしたり、ともだちとあそんだり、自分じぶん予定よていめて自由じゆう生活せいかつはじめます。でも、わたしの生活せいかつ中心ちゅうしんには、いえのことがあります。自分じぶん中心ちゅうしんかんがえて予定よていんで行動こうどうできなかったので、きゅうくつにおもっていました。

 また、わたしがかけようとすると、ははがわたしをめることがえてきました。肺炎はいえん酸素さんそ吸入きゅうにゅうをしていたので、不安ふあんだっただろうし、からだもつらかったとおもいます。わたしはははがかりで、ともだちとの約束やくそくにおくれることもおおくなりました。

はは病気びょうきのこと
はなしをしてはきずついて…

 約束やくそくにおくれてしまったときなどに、ともだちにはは病気びょうきのことをはなしたことはあるのですが、あまり理解りかいしてもらえませんでした。

 その空気くうきがしらけてしまったり、「へー大変たいへんだね」でわってしまったりしたこともあります。そんなときは、はなしをするのはつらいし、勇気ゆうきもいるのに、かるながされてしまうなら、はなさなければよかったとおもいました。結局けっきょくはなしをしてはきずついてのくりかえしでした。

支援しえんのプロのりること

挿絵3

 大人おとなになってから、ははのことをなんでも相談そうだんできるひと出会であうことができました。

 訪問ほうもん看護かんごしゅう3日みっかいえてくれた看護かんごさんです。はは病状びょうじょうについてやりりするなかで、わたしのこともにかけてくれて、いろいろ相談そうだんにのってくれました。

 家族かぞくのお世話せわは、体力的たいりょくてきにも精神的せいしんてきにもつらいことがあります。りられるは、りたほうがいいです。とくがねなくたのめる公的こうてき支援しえん、プロのはできるだけりてほしいとおもいます。

ははにもらった宝物たからもの

 ははは、家族かぞくといっしょにいたいから、一生懸命いっしょうけんめいきるといって、病気びょうきとたたかいました。そばでていて、本当ほんとうにすごくつよひとだったなとおもっています。

 いつも愛情あいじょう感謝かんしゃわすれないひとで、最後さいごこえなくなってみずめなくなっても、看護かんごさんに「ありがとうね」とつたえていました。こんなすごいひとがわたしの母親ははおやでほこらしい気持きもちでした。

 わたしには、なにもないとおもっていたけれど、ははきぬくつよさや、どんなときにも愛情あいじょう感謝かんしゃわすれないことなど、かけがえのないものをおしえてもらいました。

自分じぶん経験けいけん役立やくだてたい

挿絵4

 ははくなってからは、本当ほんとうにさみしくてかなしくてしかたありませんでしたが、1ねんくらいしてすこしずつ仕事しごとができるようになりました。

 また、もとヤングケアラーとして、自分じぶん経験けいけんはなしたり、ほんいたりするようになりました。おさないころから、ひとちに敏感びんかんで、をつかったり、ちこんだりすることがおおく、そんな自分じぶんきではありませんでした。

 でも、いま世話せわをしていたときかんじたことを経験けいけんとしてはなすと、共感きょうかんしてくれるひとにたくさん出会であえました。また、ヤングケアラーとしての経験けいけんがあるからこそ、ひとちにりそってせっすることができるのだとおもいます。

ヤングケアラーのどもたちに

 ヤングケアラーのどもたちのはなしいていると、自分じぶんめているおおいとかんじます。わたしも、はは病気びょうき大変たいへん状況じょうきょうなのに、ともだちとあそびたいとおもってしまったり、ははおもうようにしてあげられない自分じぶんわるだとおもったりしていました。

 でも、そういういろいろな気持きもちをふくめて、がんばっている自分じぶんみとめてあげてほしいです。もちろん家族かぞく大切たいせつですが、かけがえのない自分じぶん大事だいじにしてほしいです。

 みんなには、自分じぶん時間じかん自分じぶんのためにつかったり、安心あんしんして毎日まいにちごす権利けんりがあります。だからそれがむずかしいときは、まわりのひとたよってもいいんだってことはおぼえておいてもらえるとうれしいです。

つたえたいこと!

自分じぶんのことをめないで。
がんばっている自分じぶんのことをみとめて
大事だいじにしてほしいです

高岡里衣さん